祭り用品を取り扱い初めの頃は、販売商品の中に「ハンテン」や「神社のぼり」等があり「売上を上げる仕事」として接してきました。その他、旗、幕、宣伝のぼり、安全商品などを扱い多くのお客様に販売しております。

若いお客様で地元のお祭りを熱く語る青年団(会)の方と商談している時、私のハートも共鳴することが多くなってきました。一見普通の現代の若者で熱く語ることが不思議な感じですが、地元の獅子頭の歴史や演舞の方法など非常に熱く話してくれます。「今どきの若者が何故にこうも熱く語れるのか。」言葉では言い表せない地域の伝統や文化、永く受け繋がれてきた生活の中でつながる生まれ故郷の誇り、愛着が自然と感じとれます。それは、次の世代へと受け繋がれていく、その地域の繁栄、家内安全への無意識の表現なのかもしれません。

祭の語源は「神を祀る(まつる)」からきたとも言われています。地域の繁栄、家族の安寧、を祀り、祈ることが自然への感謝につながることを無意識に地元の若人は感ずるのかもしれません。

「お祭り」には二つのパターンがあります。一つは地元の神社を敬い(うやまい)、祀られている神や天に感謝し、祈願し、地元の人々が中心となりお祭りする行事。もう一つは感謝する神や天の存在が無いカーニーバル的賑わいのを楽しむ「お祭り」です。一時期、伝統のあるお祭りが観光目的の参加者を増やすために、日時を土曜、日曜にする傾向がありましたが、「外部の人に見せるために祭りをするのではない」との見解で見直されて元の日時に戻っているところもあるようです。

祭の山車は豪華絢爛

私の住む北陸でも小さな港町、山奥の集落に何故、こんなに立派な山車があるのかそれも一台ではなく、町内ごとに5台~10台と多く保有している町もあります。大変な驚きです。北陸のメインは北前船の寄港地で江戸時代から明治にかけて、莫大な富を築いた船主が中心となり買い求め寄進した山車、山間の町では生糸で栄えた町などが立派な山車を継承しています。それ以外にも、この町は何の産業で栄えて立派な山車を持つようになったのか?その町の人に聞いても今では解らない時もあります。100年以上、それ以前に今見ても絢爛豪華な山車を自分の村や町に持って来ようと思った人々はどこで見たり、聞いたりして思い立ったのでしょうか? 上洛の機会があった有力者が京都の葵祭の絢爛さをなんとか地元に持って来ようとしたのでしょうか?ライバルの都市に負けないように町や村を上げて手配したのでしょうか?

山車の豪華絢爛さは興味深いものがあります。

 

半纏・法被の着こなし

最近はテレビの影響もあり、北陸でも以前は見ることのなかった、鯉口シャツに股引きを着る若い人も多くなってきました。東京の三社祭など関東のお祭りがテレビで紹介されカッコイイと感じるからだと思います。

東京の着こなしはイキでイナセを感じさせます。しっかり帯をして体にフィットした着こなしが揃うと、尚一層に一体感がでるように思います。また、女性の祭衣装がとても似合うのも参考になります。

 

 

 

提灯

祭りの風景に一番なじみのある提灯、夜になると優しげに灯るあかりは祭の思い出をより懐かしく感じさせます。この提灯には「御神燈」と書かれたものが下げられます。これはカミを迎えるための迎火にルーツがあるといわれています。各地域の神社や山車に大きな提灯、数を増やした提灯が使用されているのは人々を照らすだけではなく、カミをお迎えする神聖な気持ちだったのですね。秋田の竿灯まつりが有名です。

太鼓

太鼓の音は体に響く迫力があり大きな音、小さな音、細い音、太い音とどの音色も心地よく染み込んできます。祭のときに限らず多く愛好者の方々がいます。祭では神輿の触(ふれ)太鼓で祭の始まりやカミのオイデを知らせるお知らせ報知太鼓としての役割を残しながら賑わいを出す大切な役割を持ったものですね。また、各地では腕自慢の人々が太鼓を叩きます。石川県では御陣乗太鼓が有名です。

 

 

 

奴(やっこ)行列

私の住む石川県の郊外では、獅子舞が盛んでどの村(今では町)にもありますがその中でも、奴行列のあるところと無い所があります。隣村であるにもかかわらずな何故なのでしょうか?赤く塗った顔が怖くて小さな子供たちは行列が近ずいてくると泣き、逃げ回る光景は可愛いものです。このような奴行列は全国的にも各地にあると思いますが、奴自体が武家の使用人で参勤交代などで奴行列が生まれたものだと思いますが、お祭りで披露されだしたのはどのような経緯なのでしょうか?ちなみに食べる豆腐を冷やっこというのは奴のハンテンの背の印が豆腐のように角ばっていたからと言われています。

 

 

石川県能登は祭の宝庫

石川県能登地区は祭りの宝庫として名高いですが、その先陣を切って始まるのが宇出津の7月のはじめにある「あばれ祭り」です。この祭りから10月初旬まで能登地区のどこかで必ず祭があると言われています。

この「あばれ祭り」は大事で神聖な神輿を川に投げ入れ、タイマツの火であぶり、地面に叩き付け グルグルと手荒に扱うといった一見神様に失礼なように思いますが、お祀りする神様が武勇神の元祖で知られるスサノオノミコト。あらぶる神様に喜んでもらおうと出来るかぎり荒っぽくもてなす事が大切といわれています。神輿を担ぐ男衆その年に選ばれた男のみ他の人は触れることは許されません。体から噴き出る玉の汗や熱気は詰めかけた観衆を祭に引き込んでいきます。

 

 

能登のキリコ祭りと言われていますが、他県の人にはキリコと言ってもピーンと来ないと思います。神輿のような担ぎ棒で担ぐ長方形の細長く中に明かりを灯した形状で非常に重く頑丈な能登の祭に欠かせないものです。地域によっては「ホートー」(奉燈)・「オアカシ」(お明かし)ともいわれています。役割は神輿の足元を照らす御神燈ですが大きなものでは重さ2トン、高さ15mにもなります。大変に重い為、担ぎ通すことは無く何十人もの担ぎ手が肩に座布団を当て、掛け声をかけ、何十メーターと前に進むことを繰り返していきます。その間、キリコに乗った子供達が太鼓を中心に笛、鉦を鳴らし夜遅くまで進んでいきます。

 

「石崎奉燈祭」

七尾市の石崎奉燈祭は能登の祭で「あばれ祭り」とともに、能登キリコ祭りの双頭と言われています。8月の第一土曜におこなわれます。高さ12m、重さ2トンの巨大キリコが6基担ぎ出されます。狭い町内の路地を大勢の威勢のよい男衆がかけ声とお囃子で練り歩くさまは、そのキリコのキシム音も伝わり見ている人々も一体となり、担ぎあげ前に進み、ぎりぎりまで前に進み下ろしたときには自然と観衆から大きな拍手が沸き起こります。また、進む道の両脇の家々もこの祭りの為に作られているような間取りで、床の間が道脇にあり祭りの客人をもてなし易く作られているように思います。

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衣裳での何故

能登は海の祭が多く勇ましく、荒々しいのですがその中で昔の女性の肌着である襦袢をひっかけて、顔には白粉を塗りたくった装いをする地域があります。全国にも同じような地域があります。どういう理由からでしょうか?あまりそのルーツを聞くことはありません。知っている人がいれば是非、教えてください。

奥能登の珠洲一円でのキリコ祭りでは、若連中が「ドテラ」と呼ばれる派手な衣装を着てキリコを担ぎます。色とりどりな柄は見た目も華やかです。また、相撲の化粧まわしのような「化粧前掛け」を付ける地域もあり、祭を一層に華やかにします。「どてら」は他の地域では「アカバ」、「化粧前掛け」はケンタイと呼ぶ地域もあります。

 

衣裳について

祭りの定番衣装はハンテン・法被ですが、これを作るのは全国の染色メーカーです。合繊繊維を染色するメーカーではなく「紺屋の白袴」と言われた染色家内工業的な染屋さん「紺屋」さんです。

戦後の最盛期には全国に2800~3000の紺屋さんがあったといわれていますが、現在では約300軒、約十分の一と言われています。昔ながらの素材、染色方法で現在のデザイン意匠を表現することは大変に困難な部分もありますが、若い後継者を中心に伝統文化商品、祭の商品(神社のぼり等)に取り組む頼もしい人も多くいます。地域の習慣を継承しながら全国一律にならないよう大事な習慣は絶対に継承していきたいと思います。先の女装的衣装をまといキリコを担ぐ町の次年度の組長と話している時、その話題に触れ次年度組長は「それならば、自分たちの衣装文化は変化しないよう残していく価値のあるものではないでしょうか?」「自分たちは幼い頃からこれが当たり前と思ってきたが、他の県の人が見たらそんなにも地域性があるのですか?驚きました。」と話されていました。今後は道路網もよくなり彼のような意識をしっかりと持っていないと画一化した装いになっていきますね。小さな違いも認識をしっかり持つことは大切なことと改めて感じました。

祭りはカミに仕えるため、色は白が基調となっています。締め込みに使うサラシ生地、白足袋などは毎年、新品のおろしたてが失礼のない装いであることが多いようです。前年のものが使えても使用しないで!!

 

ここで全国のお祭りに目を向けて是非行きたいのは東北のお祭りですね。

 

青森県は「青森ねぶた祭」が一番に思い浮かびます。「ラッセラー」の声に合わせ飛び跳ね踊る人「ハネト」呼ぶそうです。多くの鈴がついた衣装の音を是非、見て聞いてみたいものです。必ず行くぞー!!、

 

岩手県、盛岡「さんさ踊り」私の住む金沢の伝統芸能の交流ではじめて見ることができました、大変にリズム感があり躍動感あり、本場で是非みたいです。太鼓が有名ですが笛を吹く人もあの激しい動きの中でよくできるなと驚きます。

 

秋田県「秋田竿燈まつり」 長い竹竿に46個のちょうちんをつけたものを肩や腰にのせたりして技を競うそうです。テレビでは毎年必ず紹介されますね。多くの提灯が稲穂と似ているので、豊作を祈願お祭りとも言われているそうです。 冬に行くと秋田はナマハゲいるのでちょっと怖いかも、でも、ナマハゲは家族の健康を約束してくれる優しい神様だそうです。

 

 

山形県「山形花笠まつり」「ヤッショ、マカショ」のかけ語彙で豪華な山車を先頭に、美しい衣装と花笠を手にした踊り手が進みます。 この時期、全国の花笠が売り切れる時期でもあります。

 

 

埼玉県 「秩父夜祭」 埼玉県の取引先に教えてもらいました。12月にあるそうです。かって蚕(カイコ)を飼って、絹糸、絹織物で栄えた秩父、その絹織物を買い求めに来る商人たちをもてなすためにはじまったのが「秩父夜祭」です。冬の寒い夜に太鼓の音が響き、花火が次々と上がるそうです。 「川越まつり」は豪華な山車や山車人形も見ごたえがあるそうです。取引先の会長さんが是非のご推薦です。

 

 

お隣の県 富山県は高岡市「高岡御車山祭」近いながら行ったことがありません申し訳ないです。来年は必ず行きます。豊臣秀吉の御所車が前田利長にわたりその後、町民の手に渡り装飾がほどこされ、祭礼の時に神輿を一緒に曳きまわしたのが始まりとされています。江戸時代の同じ加賀藩ですがこのような立派な山車があるのは高岡だけです。

 

 

長野県 「諏訪大社の御柱祭」 長野オリンピックの開会式で世界的に有名になった「諏訪大社の御柱祭」自分もこの時に感動しました。山から滑り落とす大木に命がけで挑む男衆はテレビでの一瞬をみるだけだけでも毎年感動します。

 

 

滋賀県 「長浜曳山まつり」 長浜は豊臣秀吉が築いた城下町、秀吉が長浜城主だったころ、男の子が生まれたお祝いに曳山と呼ばれる山車が作られお祭りに登場したのが始まりと言われています。

 

 

現代人にも人気がある歴史上の人物が関係していたとなると親近感が湧いてきますね。滋賀県や岐阜などはあまり表立つことの少ない地域ですが、名を挙げた武将が若い頃に活躍した地域が多く、訪れると安土桃山時代から江戸時代の興味深い史跡が数多くあります。

 

 

京都 「祇園祭」 日本を代表するお祭りです。約1100年もつづく八坂神社の祭礼で7月の約一か月にわたって、たくさんの催事が行われます。最大の呼び物は、山鉾巡行。33基の山鉾が市内をめぐる様子は日本の歴史を肌で感じることができます。この山鉾の形が全国の色々な山車のルーツになっているようにも思います。祭りに限らず生活の隅々にいたるまで伝統を受け継ぐ京都は、やはり日本文化が根ざしている町で世界に誇ることのできる都市です。

 

 

大阪 「岸和田だんじり祭り」 NHKの朝の連続ドラマ以前から、その豪快で勇壮なお祭りは有名でそのスピード感や「やりまわし」といわれる直角に角をまがる時の連携。屋根にのっている人の団扇を操作しバランスをとっている姿は実際のを見たことないですがテレビごしにもハラハラします。

 

 

 

徳島 「阿波踊り」 踊りを見たことはなくても、「どうせアホなら、踊らなソンソン」のフレーズは子供のころから知っていました。映像などで見る女性の連の踊り姿は美しいの一言に尽きます。

また、男踊りもみていてワクワクさせてくれます。

 

 

愛媛県 「新居浜太鼓まつり」 写真でしか見たことは無いですが大きな太鼓台が50台以上も登場するお祭りです。写真からもその迫力が伝わってきます。是非、見に行きたいお祭りの一つです。

 

 

最後に「神輿」と「山車」の大きな違いは、「神輿」は神様が宿るとされるご神体や神様の霊が乗る物。「山車」は神様も人ものることができ、自然の山を真似して作っている。山車の上で囃子の演奏や芝居などもおこなわれます。